1周年の日に四半世紀前の話を
【サイト更新】
— みろく卍游楼 me-Rockman-Jeuro (@rockmanalive) 2021年4月1日
―1周年記念 Anniversary Sale!―
惑星規模での未曾有の災いが続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。#StayHome#StayRockmanRepublic
早いもので私ろくまんがソロアルバムを発表してちょうど1年が経ち… https://t.co/96zg4Z9uSg
我がソロアルバムを発表して1年が経ったというわけだが、いやはや、コロナに全部持っていかれたなというのが正直なところ。俺に限らず世間のどなたさんもみんな同じ思いだろうから致し方ないというか感染もせず健康でいられている事に感謝せなアカンのかな。。
1995年11月。Windows95が発売された事がきっかけでパソコンに標準でWinsockが搭載され簡単にTCP/IP接続ができるようになった途端それまではハードルが高かったインターネットが一気に普及した訳だが、その流れに遅れを取るまいと俺も1995年の暮れに京都アイネットという半官半民の超格安(激遅w)プロバイダに加入して割り当てられた1MB(!)の容量を使ってホームページを開設したのが1996年の初め。
そう、あれから25年。四半世紀前の話だ。
ホームページの目玉は、「寺町電脳マップ」。
当時アキバマップや大洲マップ、日本橋マップと日本の電気街というかパソコンショップ街を紹介するサイトがあったのだが、残念なことに我が京都のサイトがなかった。そこで俺と親友のS氏とで一念発起というほどでもないが地道に取材を重ねて京都の代表的な電気店街「寺町」の紹介ページを作ったのだ。
断っておくと、寺町のパソコンショップなんて10件程しかなかったんだけどな最盛期でも(笑)
なので、パソコンを取り扱う寺町の電気店はもちろんの事、京都市内全域のパソコンショップと電気店も網羅していった。その上さらに寺町でパソコン巡りした時用にランチが食べられる飲食店まで掲載していた。
その「寺町電脳マップ」はなかなか好評で、新聞や雑誌にも何度か取り上げられたし、依頼を受けて俺がパソコン雑誌のレビューを書いたこともある。新聞にインタビュー記事が載った事もあるな。まあ、あの頃が俺のパソコンマニアピーク時代だな。今はマックが1台あればそれで満足(笑)
「寺町電脳マップ」は何を隠そう完全静的サイト、つまりHTMLのみで出来上がっていたのだがその後出てきたPHP等を使ったCGIもBBSやら日記サイトに利用していた。ウェブログ(ブログ)が流行りだした2000年頃には一斉を風靡したMovable Typeではなく日本の開発者が作ったa-nikkiというのを使って当時のバンドメンバーの日記サイトをつくったな。a-nikkiが進化してa-blogとなり完全にMovable Typeを凌駕して素晴らしいと感じたのでそれ以降の俺の作るサイトは全部a-blogで作成したものだった。
俺自身のブログの変遷を追うと、SandY News Clip (a-nikki) → ぶろくまん(a-blog) → ぶろぉくまぁん2(a-blog) → ぶろくまん3(はてなブログ←今ココ)となるわけだが、、
何をくどくどと言ってるのかというとだ、
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みろく卍游楼オフィシャルウェブサイト
表題の通り、そんなものを作った。
ベビメタ発見して居ても立ってもいられなくなってニューヨークボストンくんだり迄一人出かけていったあの日からまもなく4年。
時の過ぎゆくままにこの身をまかせ(byジュリー)
よたろう帝國を電撃脱退してからはや2年。
泣いてばかりいたって幸せは来ないから(byキャンディーズ)
そんなわけでソロ・アルバムのリリースを機に、ろくまんの音楽活動に的を絞ったサイトを立ち上げたというわけだ。ま、ほぼそのソロ・アルバムの宣伝紹介サイトといえる。
@rockmanalive – みろく卍游楼 me-Rockman-Jeuro
とはいえもちろんここ「ぶろくまん3」は歴史ある「ぶろくまん」シリーズの現在形なので残すつもりだ。オマエ更新しないやん?とか言うなよな。
その証拠に上記サイトのメインメニューの「BLOG」はこのぶろくまん3へのリンクだ。
ほぼ干支ひと周りぶりくらいにウェブサイト構築をしてみたわけだが、、浦島太郎感ハンパなしだったな。そもそもWordPress使うのがほぼ初めてという(@_@;)
そしてツールも Dreamweaver & Fireworks 無しという飛車角抜き感での挑戦。
WordPressのテーマをほぼ弄くらずにCSSちょっと付け足したくらいだったからDreamweaverは無くても何とかなったが、Fireworks無しは辛かったな。代わりに何を使ったかと言うともちろんPhotoshopよ、そらそうだろ、他にないやん。
知らんけど。
Fireworksと比べるとなんとも癖の強い使い勝手に本当に苦しめられたな。過去形じゃなく今も苦しめられてるが。ヘタにFireworksに慣れてないほうが良いんだろうな多分。
まあしかし12年前と比べるとネット上の情報の豊富さがもう呆れるほどあって何をするにも解決するためにはほとんど不自由しなかったのが印象的だったかな。
いちいち調べながらやっていかにゃあならんのが時間かかってじれったかったがそこは耐え忍んで一つ一つ潰していくしかない。
あともうひとつ、気がついた12年前との決定的な違い。それは、、、
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ヘタレレジスタンス 《第5章》 Boston編その2
↑のつづき
5月6日
雨も止んでるし早起きして散策してもいいのだが。
慢性寝不足で消耗した体力は回復しきってない。
何よりメンタルがその気にならなかった。
それでも早起きして8時30分にはホテルをチェックアウト。
とりあえず空港方面に向かう事にした。
事前にGoogleマップで経路は調べていたもののボストンで実際に電車に乗るのはこれが初めて。
地下鉄の駅に降りる。
券売機の前で困った。
ネットでチャーリーカードというICOCAみたいのが便利と書いてあったが片道1回こっきりしか乗らないし普通に目的地までの切符が買いたいのだが、、。
券売機は、駅名で券を買うというスタイルになってない?
はてどうしたものかと思案してたら後ろから恰幅のいいアフリカ系おっさん、服装からこの地下鉄の係員風だったが何やら話しかけてくる。
これがまた何言ってるのかさっぱりわからない。
苦笑いしてると去っていった。
一難去ったと再度券売機と格闘するもやはり要領を得ん。
チャーリーカード買って何ドルかチャージするしかないのか。
見渡すとさっきのオッサンが改札のところで立っている。
やはり駅の係員らしい。
これは聞いてみるといいかなと、、オッサンのところに行き、地下鉄の降りる駅Government Center まで行きたい、切符の買い方教えて、と言ってみた。
これは伝わっている筈。
オッサンが英語通じる相手なら。。
するとオッサン、、、
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